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カテゴリ:僕へのママの思いやり の記事リスト(エントリー順)

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母子近親相姦物語

kage

2017/06/10 (Sat)

07_1_044ma.jpg

母子相姦大好き!
高齢ママ大好き

変態中年息子
江呂塚貫蔵です。

高齢実母、ママ、
お袋、お母さん、
07_2_007mi.jpg
かあさん、が
大好きな母子相姦
ファンの皆様

こんにちは。

いかがおすごしで
しょうか。
07_1_043ma.jpg
ーーーーーーーーーーーー
160420cs036.jpg
僕が17歳ころの思い出
です。

僕は、自宅の近所の
学校へは受験しないで
レベルの高い学校を
受験しました

学校があった地域の
地元の生徒とは違い
遠方から通う生徒は
結構勉強も、運動も
出来る連中が多かった
でした

僕もその一人で、入学
当初は、クラスでトップ
クラスでした。
16歳の時は結構優等生で
クラブ活動もしていました
160420cs021.jpg
17歳になると、
クラブ活動も夏過ぎには
引退、大学受験の準備に
入ります

この頃は好奇心旺盛で
クラスの中の地元の連中と
悪仲間になり一時的に
反抗期的な遊びを覚えました

さすがに当時は新学校
では、就職組か相当の悪
出ない限り、女の子と
深い関係になる奴は
少なかったです
せいぜい、キスくらいでした

悪仲間とは言っても
皆、得意科目を持った
連中ばかりで、お互いに
勉強は教え合って
いました

ただ、野郎がつるむ場所が
地元の農家の息子の
同級生で、彼の部屋は
離れ部屋でしたので、
御多分にもれず、土曜の
午後には、彼の部屋で
遊ぶようになりました
160420cs002.jpg
勉強以外でやる事と言えば
エロ本の回し読み、
喫煙、50ccのバイクを
皆で、代わる代わる
乗って遊ぶくらいでした

喫煙を覚えたので
自宅で隠して持って
いました

自宅内では喫煙は
さすがにしなかったですが
外で喫煙していても
匂いで分かってしまうのですが
僕は気を使っていなかったので
そこで失敗しました

8歳年下の妹がママに
「お兄ちゃん、パパと
同じ匂いがする」
と告げ口ではないのは
わかっていますが、
ママにバレてしまった
のです

机の引き出しの奥底に
隠してあったのですが
当然、学校から帰ったら
机の上に置いてあり
頭、叩かれました

「パパに言いますよ」
と一言
0001
しかしその晩、オヤジが
ママの言ったことを聞いて
いましたが、全く怒る
気配もなく、笑っていました

オヤジは戦争中に
旧制学校に行って
いましたので、親元
離て、寄宿舎生活

当時は、上級生の
命令は絶対服従の世界
だったようで、オヤジも
先輩に喫煙を進められ
断ると、上級生に
殴られる世界でしたので
当然従っていたようです

なので、僕の喫煙の話を
ママから聞いても
「なんだ、遅いな、俺なんか
14歳の時には始めてたぞ」
「軍事工場で勤労奉仕の後は
大人に混ざって、一服が
当たり前の時代だったからな」

とまあ、何のお咎めも無し。
ただ、家の中と、学校と
制服の時は、やるな」
とだけ言われました

話はここからです
僕の机の中には
実は、エロ本と
ママのパンティが
1枚入っていたのです
05.jpg
ママの下着はゴミ捨ての時に
古くなったパンティーを
ゴミの中に入っていたのを
僕が見つけて、
こっそり抜き出して
捨てないで、机の中に
隠していたのです

何に使うかと言うと
当然オナニー
射精で、ママの
パンティーにぶっかける
のです

ただ、毎回洗うわけ
にもいかず、乾かす場所も
無いので、ママの古着の
パンティーは精液
コテコテになっていました

ママに机の中を調べられた
時に、当然、見つかっていました

エロ本はそのままでした
喫煙具は取り上げられ
ました、当然。

ママの古着パンティーも
無くなっていました
しかしママはその事には
何も触れませんでした

精液でベタベタになって
いるので、オナニーに使った
事はバレバレでした

僕の部屋にママの
着替えの箪笥が
あり、ママの短めの
スカートで以前に
オナニーをし、汚して
しまって、一応濡れ
タオルで拭いては
置いたのですが
乾いて、ごわごわ
するのでそれも
バレていたようですが
ママは何も言いませんでした。
0055
数日後、机の中を見ると
ハンカチで包んである
物とメモ書きがありました

ハンカチを広げてみると
ママのパンティーと
ブラジャーでした

僕はびっくりしましたが
メモ書きを読みました
「これ使いなさい、
つかったら、風呂に入る
ときに、自分の下着
一緒に、籠に入れなさい」
と書いてありました。

姉妹にはバレないように
工夫してくれていて
洗濯物を入れる籠は
男物と女物は別々でした

僕は、その晩から
布団をかぶり、懐中電灯で
見ながらオナニーをし
トイレットペーパーの
代わりに、ママの下着
精液を思い切り出し
その下着でおチンチンを
拭いてそのまま寝ていました

僕は毎晩、ママの下着
洗濯籠に入れませんでした
3回位使ったら、入れようと
思っていました
0002
ところが、次の日に
机の引き出しの中を
見るとまたメモ書きが
ありました
「汚したら、毎日洗うから
新しいのを入れておくわ」
っと。

これで、毎日、洗い立ての
ママの下着オナニー
してました。
汚れたママの下着も
良かったんですが、
洗い立てだと、ほんのり
香水の香りか、石鹸の
香りがして、オナニー
する時に、匂いを
一生懸命嗅いでいました

ママの下着も普段用は
そんなに沢山は無かった
のですが、オヤジとの
夜専用の、赤いパンティ
とか、今思うと、アダルト
グッズ店で売っているような
下着も時には置いて
ありました

ママは、僕と2人きりの
時に、聞いてました
「どんな下着がよかった?」
っと

僕は言いました
「白かクリーム色か
ピンクかな」
と言うと
「ふ~ん」っと
味気ない返事でした

ある時、別のものが
入っていたことも
ありました
基本ブラとパンティ
がセットでしたが
パンティストッキング
の時もあり、また、
スリップの時も
ありました。

僕は、毎晩オナニーを
1回から2回していたので
それも、ネットリと
おチンチンを拭いて
いましたので、射精した
精液の部分と、拭いた部分
がはっきりと分かれていました

ママはそれをよく観察
していて、オナニーの
回数もわかっていました

ある時いママに言われました
「2回も3回も出すと
疲れちゃうでしょ」
っと

きっと、オヤジと同じ
感覚で見ていたのだと
思います

ある時は、ママが
風呂場で風呂に入るときに
僕の部屋に寄って
「ちょっとこっち来なさい」
と言い脱衣場に誘いました

ママは、風呂へ入るので
髪の毛が濡れないように
タオルを頭に巻き、
スリップの肩紐を外し
下にスリップを落とし
ブラジャーを外し、
パンティーも脱ぎ
素っ裸で風呂場のドアを
開けて入ろうとして
振り返り僕に向かって
言いました。
0089
「好きなの持って行って
いいわよ」っと

僕は、言いました
「全部いい?」
スリップ、ブラジャー
パンティー全部です

ママは
「いいわよ」の
一言で、風呂に入って
行きました。

その夜は、ママの
下着三昧でした。
脱ぎたてのママの
下着なので、
パンティーのおマンコ
のあたりは少し匂いが
しました。

ブラジャーの
カップの中に
たっぷりと精液
注いでおきました
パンティーは、
ママのおマンコの
あたる部分に
ベットリと精液
塗りたくって
置きました。
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スリップには、
あまりに興奮したのか
舐めて、僕の
唾液で濡れてシミに
なっていました。

ママの下着オナニーは
段々エスカレートして行き
ママの下着の入った
箪笥の引き出しから
勝ってに僕が選んで
オナニーを始めました

ママの反応を見たかった
のです。

ママは困った振りをして
言いました
「困った子ね、好きなの
を毎日使っていいわよ」
「一回に、2枚までね」
と言いました

僕は勝手に解釈して
パンティ2枚
ブラジャー2枚
スリップ2枚
を使ったことも
ありました

さすがにママも
あんまり僕が
オナニーに使うと
着替えが無くなるので
毎晩、スリップ、
ブラジャー、パンティの
風呂に入る時に
脱いだものを、僕の
布団の中に入れて
くれるようになりました
FILE11892.jpg
これは、大学入学で
家を出て、独り暮らしを
始めるまで続きました

僕が、上京するときに
荷物は多くは無かったのですが
布団袋の中に、ママの使った
下着が(新品では無く)
パンティ、ブラジャー
スリップが5枚くらいずつ
入っていました。

ママの餞別代りの心使い
でした

メモ書きが入っていて
「寂しくなったら、ママだと
思って使いなさい」
っと。
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ママを大好きになりましたね

その後、アパートに
一人暮らしになったのですが
その後は、今度は本格的に
ママが定期的に慰安に来る
本格的な母子近親相姦が
始まっていくわけです。
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